ここまでの章で、\(C_T\)、\(C_Q\)、\(J_{mp}\)、モータの時定数……といった数字を 当たり前のように使ってきました。しかしこれらの値は、 ホビー用の小さなモータやプロペラのカタログには載っていません。 では、どこから来たのか。答えは「自分で測る」です。この章では StampFly のモータと プロペラのモデルを組み立てながら、それぞれのパラメータが どんな実験で得られたのかを紹介します。教科書の式に入っている数字は、 すべて誰かが工夫して測ったものだ——それがこの章の裏テーマです。
4.1 モータ+プロペラのモデル
StampFly のモータは 1 セル LiPo で駆動されるコアレスブラシ付き DC モータです (コアレスモータでは、鉄心がなくコイルのカゴ自体が回転します)。 電気系と機械系の 2 本の微分方程式で書けます:
\(K_e\) は逆起電力定数(回るほど電圧を押し返す)、\(K_t\) はトルク定数 (SI 単位系では \(K_t = K_e\))、\(C_Q\omega^2\) はプロペラの空力負荷トルク—— 第2章で登場した「空気の反作用」そのものです。
4.2 パラメータはこうして測られた
| パラメータ | 値 | 測り方 |
|---|---|---|
| \(R,\ L\) | 0.593 Ω / 0.788 µH | LCR メータで巻線インピーダンスを計測(周波数依存損失は Foster 型回路で表現) |
| \(K_e\ (=K_t)\) | \(5.68\times10^{-4}\) V·s/rad | コーストダウン中の開回路逆起電力を直接測定(下の実測例参照。 LAN/SCPI 経由のオシロ公式換算で取得し、電池電圧とボディダイオードのクランプ電圧で 二重検証)。別個体の無負荷 電圧–回転数実測(\(5.35\)〜\(5.53\times10^{-4}\))とも 数%=個体差の範囲で整合 →付録C |
| \(C_T\) | \(6.7\times10^{-9}\ \mathrm{N/(rad/s)^2}\) | ベンチの推力実測(Duty0.1 → 1.00 gf)×フォトインタラプタの回転数実測 (同 Duty で 1209 rad/s)のペアから \(C_T = T/\omega^2\) |
| \(C_Q\) | \(4.10\times10^{-11}\ \mathrm{N\,m\,s^2/rad^2}\) | コーストダウン試験(電源カット後の惰性減速、\(1/\omega\) の傾き)で \(J/C_Q = 335\) を直接測定し、下の \(J\) と合成 →付録A |
| 回転子の慣性 \(J_{rotor}\) | \(3.45\times10^{-9}\ \mathrm{kg\,m^2}\) | モータを分解し、コイルかご(外径6mm・肉厚0.65mm・高さ12.4mm の コップ形状)と鉄軸の実測寸法・質量0.58gから計算 |
| プロペラの慣性 \(J_{prop}\) | \(1.03\times10^{-8}\ \mathrm{kg\,m^2}\) | 上面写真から外形をデジタイズし画素直接積分(\(I=M\langle r^2\rangle\))、 刻印 1209(ピッチ0.9インチ)による取付角の投影補正込み。 質量はハブ・ブレードを個別に秤量。旧値 \(2.01\times10^{-8}\)(ブレード切り分け・ 長方形近似)を2026-07の再推定で置き換え →付録B |
| 機体の慣性 \(I_{xx}, I_{yy}, I_{zz}\) | \((9.16,\ 13.3,\ 20.4)\times10^{-6}\) | 2点吊り法: 機体を2本の紐で吊り、捻り振子の周期から算出(下図) →付録D |
4.3 二つの時定数 — なぜ「一次遅れ」で済むのか
4.1 節のモデルには微分方程式が 2 本あるのに、これまで「モータは一次遅れ」と 扱ってきました。その根拠は時定数の分離です:
約 2 万倍の開きがあります。電流は回転数から見れば「一瞬で」定常に達するので、 電気系の式を \(i \approx (V\cdot\mathrm{Duty} - K_e\omega)/R\) と代数式に潰してよく、 残る機械系だけの一次系になります。運動制御で注目すべきは機械的時定数—— 第2章から使ってきた「モータの一次遅れ」の正体です。
ホバリング点まわりで線形化すると、実効時定数と減衰の内訳が見えます:
面白いのは減衰の内訳です。回転数の変化を押しとどめているのは、プロペラの空気抵抗 だけではなく、逆起電力による電気ブレーキが6割強を占めています。 モータは加速器であると同時に、自前のダンパでもあるのです。 なおこの実効時定数は動作点に依存します——低回転・低Duty(電流が流れる時間が短く 電気ブレーキが効かない)では 100 ms 超まで伸びることが、コーストダウン試験と 同時に行ったステップ応答の実測(Duty 10% で 63% 立ち上がり 0.20 s)で確認されています。
4.4 ヨー軸の伝達関数 — 積分器+零点+一次遅れ
第2章で「反トルクは二つの物理現象」と学びました。これを伝達関数にすると、 二つの現象が数式の中のどこに座るかが見えます。ヨー指令でモータ角速度を \(\Delta\omega\) だけ割る(CW を下げ CCW を上げる)ときの反トルクは、線形化すると
モータの一次遅れ \(\Delta\omega(s) = \Delta\omega_{cmd}(s)/(\tau_{eff}\,s+1)\) と、 機体ヨー軸の積分 \(r(s) = \Delta\tau(s)/(I_{zz}\,s)\) をつなぐと:
積分器+零点+一次遅れ。分子の零点 \(\tau_z s + 1\) の正体が 「加速の反トルク」です。空気の反作用だけなら積分器+一次遅れで終わるところに、 \(J_{mp}\Delta\dot\omega\) の項が分子に \(s\) を持ち込んで零点を作ります。 \(\tau_z > \tau_{eff}\) なので位相進み特性となり、ステップ指令の瞬間には 定常の約 2.8 倍のトルクが立ち上がって、モータの回転数が落ち着くにつれて 空気のトルクに引き継がれます。
4.5 体感する: ヨー応答と零点
ヨー指令(CW/CCW の回転数割り)をステップで入れたときの反トルクの内訳と ヨー角速度の応答です。「加速の反トルク(零点)」のチェックを外すと、 立ち上がりの鋭さがどう失われるかを見てください。 \(J_{mp}\) スライダーは測定誤差の範囲(±15%程度)で動かせます—— 波形は伸び縮みしても、形(比率)は変わりません。
条件: ヨー割り \(\Delta\omega_{cmd} = 180\ \mathrm{rad/s}\)(ホバ回転数の約5%)のステップ。 モデルと数値は本文と同一(\(C_Q = 4.10\times10^{-11}\), \(K_e = K_t = 5.68\times10^{-4}\), \(R = 0.593\ \Omega\), \(I_{zz} = 2.04\times10^{-5}\ \mathrm{kg\,m^2}\))。 機体側のヨー空力減衰は無視(純粋な積分器)。
まとめ
- モータ+プロペラは電気系と機械系の2本の微分方程式。ただし \(\tau_e = 1.33\ \mathrm{\mu s} \ll \tau_m \approx 25\ \mathrm{ms}\)(約2万倍)なので、 運動制御では機械系だけの一次遅れに潰せる(ホバ点の実効時定数 約16ms)。
- 回転数変化への減衰は、逆起電力ブレーキ 64% + プロペラ空力 36%。
- パラメータは全部誰かが測った数字: LCRメータ、無負荷V–ω回帰、推力計測、 モータ分解、写真デジタイズ、コーストダウン試験、2点吊り法。
- ヨー軸は積分器+零点+一次遅れ。零点の正体は加速の反トルクで、 立ち上がりに定常の約2.8倍のトルクを供給する(この倍率は \(J_{mp}\) に依存せず頑健)。
- 旧推定の \(J\) には「プロペラ2倍・回転子10倍」の誤りがあり、3つの独立測定で訂正された。 同定は「矛盾が見つかったら測り直す」の繰り返し。
道具立てが揃いました。次章ではいよいよ制御に入ります—— レート制御から始めて、PID でマルチコプタの姿勢を安定させます。
データの出所: 電気系(R/L/Ke)はモータドライバ論文の同定値。 \(C_T\)・\(C_Q\)・\(J\) は2026年7月の再測定 (ベンチ推力×フォトインタラプタ回転実測、コーストダウン試験、写真デジタイズ、 回転子実測諸元)。機体慣性は2点吊り法による実測。 計算の再現は notes/calc/ の coastdown_id.py, prop_inertia_photo.py, rotor_inertia_specs.py。